虚像とハッタリ

アイキャッチ 思考

そこにあるもの

前回の記事で媒体についてお話ししました。
媒体作りの際にご参考ください。

最近Twitterやらインスタやらで
虚偽の投稿する輩が増えてきましたね。
そんな投稿を見ると、、なんだか虚無感に包まれてくるような気がするのです。
私は虚偽に関しては批判的な立場ではありますが
”ハッタリ”に関してはそこまでネガティブでは無いんですね。

まず、虚像とハッタリの言葉の定義解釈について
※これは少しアート流なところもあります。

まず虚像に関して

虚像の図

虚像とは

”虚”という言葉は
「中身がない・空っぽ」という意味なんですね。
その、虚というものに像、であったり言が付随してくるわけですが
虚像….レンズを隔てたときに、光を当てた一直線上に写される像の事である。
写されたものは上下左右はせず、大きさは変わる。
しかし写された像は目の錯覚であり、実際に存在するものではない。
というもの。
少し難しいかもしれないので、分かりやすく例えると
双眼鏡とかはまさにそれですね。
レンズから覗いた風景は実際より大きく写されますよね。
しかしその”大きく見えた像”は存在せず、レンズを通さないと確認ができないのです。
ちょっと応用で、実は鏡も虚像なんですよ。
そしてレンズを隔てて、レンズの向こう側に光が集まって見える像が実像になります。

そして次、ハッタリです。
ハッタリは、わずかなことを大げさに言ったりすることです。
似た意味として、「実際に無いものをあるように見せる事」というのは虚像に近いので
このブログの中では無しとします。

これが虚像とハッタリの違いです。
念のためもう一度ルール設定をしておきますが
私は虚像に関してはいい印象を持っていません。
ハッタリに関しては別にいいと思っています。

創造と修正

先ほどから言っているが
虚像とは、実際に存在していないものを言う。
即ち、存在していないものをこの世に表している時点で
一種の【創造】なのですよ。

いやいや、君が創造主なの….?(笑)

って感じだが。

あまり触れたくない学問までいってしまうのだが
創造というのは今まで神が行ってきた物であるからして
そこらへんのちっこい人間が創造など…反吐が出るわけですね。
人間でも創造主はいるが、それはかなりレベルの高い人種であると。
SNSでマルチの勧誘をしている者などに創造はまだ早い(笑)
そんな”ハンパ者”が神を名乗っても世界が崩壊するだけなのでね。

虚像に関しては手を出さない方が良いでしょうね。

一方ハッタリは…
これも賛否両論あるのだと思うが…今あるものを大きく見せるというのは
セールスのテクニックの1つとしてアリだと思う。(私もよくやるしねw)
ただ、事実は事実であってほしいね。
例えば、私は数年前企業の採用担当と商談をしていた頃だが
採用担当は新卒を求めていると小耳にはさんだので
「私は新卒をメインに人材紹介をしております」
と伝えたのですね。
実を言うと全くそんなことはない。
寧ろ中途の方が当時は少し多かったかな。
ただ新卒も紹介可能だったのでそんなはったりをしたのだ。

目の前に出せるのか

実際の現場ベースで例えるなら
出したハッタリが実現可能なら全然オーケーです。
期間に関しては臨機応変にやってほしいのだが
やろうと思えばできる。
という程度なら全然良いのではないだろうか。

前回の記事で媒体についてお話ししました。
媒体作りの際にご参考ください。

本日は以上です。

PS:実際に虚像とかハッタリに関しても
皆さんで考えてくださいね。
これも、一部定められている言葉の定義解釈に基づいていますが
アート流なところもあるので
言葉とは、哲学のように正解は無いのである。
そして像に関してのことも
サイエンスとして捉えるのであれば
理論を覆すべく考えて欲しい。
サイエンスも理論と理論の衝突があるから楽しい。

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